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桜問題提起スレッド
えーここを見てるNHKの方へ(シーズン2)
投稿者:miyazakiさん投稿日時: 2012/11/18(日) 00:32:08
ソクラテスと松尾芭蕉

ソクラテスが死のうとしていた。服毒の刑だった。彼は動揺する弟子たちに「静かにしろ

邪魔するな、私に死を探らせてくれ」と命じた。「手の感覚が無くなってきたが私は

完璧だ」、、、「足の感覚も無くなった、だがやはり私は完璧だ。」「もうすぐ舌の感覚

が無くなり喋れなくなるだろう。だが私は完璧だ」

旅に病み夢は枯野を駆け巡る.枯野は涅槃ニルヴァーナを意味する。

ソクラテスと芭蕉に何かが共通している。


660 miyazakiさん 2019/01/05(土) 03:20:45
 インド人にとってはどうでもいいことばかり

 インドの寺院には窓が一つも無いのがある 衛生観念も換気の気配りもない
 
 寺院ですら醜悪だ 汚物があろうがホコリがあろうが

 入り口に牛が寝そべっていようが 人々が祈っていようが 犬がケンカしていようが

 外の世界に対する感覚がまるで無い まったく関心をよせないのだ

 さて こうして禅の樹全体が日本に移植される 何千もの花が開いた

 そして散り去っていった 日本に禅を求めて行くものがあるとしたら

 空っぽの手で戻ってくるしかない 儀式はまだある 日本人は儀式が好きだから

 禅寺の中では今もって同じように続けられている あたかもそこには

 禅の精神があるかのように しかし内なる寺院は空虚だ 寺の主はどこかへ

 行ってしまった 神性はもうそこになく 虚ろな儀式だけ

 そして彼らは外向的な人々だからその儀式を続けていくだろう

 朝は5時に床を離れ 鐘がなるにちがいない 茶室で茶をたてたり

 僧堂では目を閉じて座る 全てまだ禅の精神が在るがごとく正確に行われるだろう

 だが その精神は消えてしまっている

 溢れんばかりの桜は散り去って 本物の禅はごくわずかに寒梅のようになった


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