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桜問題提起スレッド
えーここを見てるNHKの方へ(シーズン2)
投稿者:miyazakiさん投稿日時: 2012/11/18(日) 00:32:08
ソクラテスと松尾芭蕉

ソクラテスが死のうとしていた。服毒の刑だった。彼は動揺する弟子たちに「静かにしろ

邪魔するな、私に死を探らせてくれ」と命じた。「手の感覚が無くなってきたが私は

完璧だ」、、、「足の感覚も無くなった、だがやはり私は完璧だ。」「もうすぐ舌の感覚

が無くなり喋れなくなるだろう。だが私は完璧だ」

旅に病み夢は枯野を駆け巡る.枯野は涅槃ニルヴァーナを意味する。

ソクラテスと芭蕉に何かが共通している。


777 miyazakiさん 2019/08/20(火) 21:53:36
いや、蜷川には本物の禅風の理解があった。彼は単なる詩人ではなかった。

蜷川は即座に一休の歌を理解した。ことに臨んで即であることができたのだった。

彼は「反応」ではなく「対応」することができたのだった。

「何もないもの、つまり無をもてなしてくさるお心こそ、本来の空、妙味の極みで

 ございます。」

 無こそ贈り物の中の贈り物、これ以上のものは存在しない。

 それはあたかも、神を飲み干したかのような極致

●●

  深く心を動かされた禅師が言った。「そなた、多くを学んできたものよのう」

この学ぶというのは知識のことではない。禅では学びとることと知識とをちがうもの

とみなしている。知識というのは借り物だが学びとるとは自分自身のもの。

知識は言葉や言語、それに観念を通じて得られるが学びとるとは自身の経験を通して

得られるものだ。知識は常に完了形をとるが学ぶことは完了がない、常に途上にある。

最後の最後の瞬間まで人は学び続けていく。

知識は必ずどこかで止まり、エゴとなっていくが学ぶことには終わりがなく、謙虚な

ままであり続ける。

●空とは空っぽではなく純粋なエネルギーに溢れかえっている、、、、○○禅師
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