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桜問題提起スレッド
えーここを見てるNHKの方へ(シーズン2)
投稿者:miyazakiさん投稿日時: 2012/11/18(日) 00:32:08
ソクラテスと松尾芭蕉

ソクラテスが死のうとしていた。服毒の刑だった。彼は動揺する弟子たちに「静かにしろ

邪魔するな、私に死を探らせてくれ」と命じた。「手の感覚が無くなってきたが私は

完璧だ」、、、「足の感覚も無くなった、だがやはり私は完璧だ。」「もうすぐ舌の感覚

が無くなり喋れなくなるだろう。だが私は完璧だ」

旅に病み夢は枯野を駆け巡る.枯野は涅槃ニルヴァーナを意味する。

ソクラテスと芭蕉に何かが共通している。


792 miyazakiさん 2019/09/14(土) 20:42:19
 
 しかし蜷川には助けが必要だった 助けが要らなければ 蜷川はただ微笑んだだろう

 感謝の言葉を述べただろう 蜷川は聖典から借りた言葉を述べることはなかっただろう

 なぜ聖典を使うのか? それらは合理化だ 自分が確かでないとき我々は聖典を使う
 
 聖典はとても理にかなっているからだ 疑わしいとき 戸惑う現実を隠すことができ

 偽の確信を与えられるからだ 蜷川が述べたのは聖典だ 彼自身の体験ではない

 一休を 本物の禅師を騙すことはできない


 一休「本当に自分が来て 去ると思っているなら あなたは惑いのなかにいる

    来ることも去ることもない道を あなたに示そう」


 これは実に難解で微妙だ 一休は言う 本当に自分が来て去ると思っているなら

 そこにエゴがある 誰が来て誰が去るのか? あなたは知らない ただブッダの言葉を

 繰り返しているだけだ  そこに罠がある

 真に「わたしは一人できて 一人去る」と知れば 来ることも去ることも そににはない

 










 



 
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